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神社に関する豆知識クイズ

~意外と知らない神社のこと、ちょっとだけ学んでみましょう
問題をクリックすると、答えが出ます~

A1 ③古代メソポタミア

 

 

 諸説ありますが、狛犬の起源は古代メソポタミアで神域を守る百獣の王・ライオンの像であるとされます。
 ここから西にエジプトに行くとピラミッドを守るスフィンクスになり、東に行くと唐草模様が装飾されたり、高麗犬と呼ばれたり、沖縄ではシーサーになったりと、地域の特徴を備え変化しながら、日本に伝わってきたと考えられます。
 その役割は、神さまのお使いとして神域を守り、邪気を祓うことを担います。
 また、狛犬の表情は地域によって実に多様です。一般に向かって右側の狛犬が「阿形(あぎょう)」で口を開いており、左側の狛犬が「吽形(うんぎょう)」で口を閉じていて、右が雄、左が雌で子供を抱いていたりするものもあります(※ 阿吽の呼吸)。

A2 〇

 

 

 現在もそうですが、ご神前にはその土地で収穫された物を中心にお供えされます。
 私たちは祖先の時代から豊かな自然に育まれて暮らし、秋になると米の稔りに感謝をして刈り入れた米を神様にお供えしました。こうした信仰に基づき、米を白紙に包み「おひねり」としてお供えするようになりました。その後、貨幣の普及とともに米の代わりに、金銭をお供えするようになります。
 そもそも米は、天照大御神がお授けになられた貴重なものとされ、人々はその大御恵(おおみめぐみ)を受け、豊かな生活を送ることができるよう祈ったのです。
 金銭をお供えすることも、この感謝の気持ちにかわりません。ご自分の気持ちを表して、お参りしましょう。

A3 

 

 多くの神社では、拝殿の中央、ちょうど賽銭箱の真上のあたりに、大きな鈴が吊られており、参拝者はこれを振り動かして鈴を鳴らし、お参りをします。
 当社では、巫女が神事で用いる神楽鈴を鳴らして、お参りいただいております。
 この鈴は、清々しい音色で参拝者を敬虔な気持ちにするとともに参拝者を祓い清め、神靈の発動を願うものと考えらています。
 『古語拾遺』には、天の岩屋(あまのいわや)にお隠れになられた天照大御神の心をひくために、天鈿女命(あめのうずめのみこと)が鈴を付けた矛を持って舞ったことが記され、宮中では天皇陛下が天照大御神を御親拝なされる際に、女性で祭祀を司る内掌典(ないしょうてん)が、御鈴を鳴らして奉仕することがあるように、神事における鈴振りは今日においても重要な意味を持っています。

A4 二拝二拍手一拝

 

 「拝」とは、腰から九〇度に頭を下げる神さまに対してのみ行う礼を言います。故に、人に対して九〇度に頭を下げることは、相手に対して失礼なことに当たります。
 また、「拍手」は古くから我が国独自の拝礼作法として、神さまや貴人を敬い拝む時に用いられました。出雲大社、宇佐神宮など、四拍手する神社もあります。
 九〇度の礼・おじぎとなると、かなり深く大変なので、当社では「二礼二拍手一礼」でとお話しすることもありますが、一番大切なことは、心静かに神さまに感謝の祈りを捧げることです。その御心(みこころ)に正しい作法が備わると、より清々しい拝礼が出来ると考えます。

A5 ③ 柱

 

 神さま(御祭神)の数え方は、「…柱(はしら)」という助数詞を用います。古来、神霊の憑依する樹木を御神木として神聖視してきたことや、長野県・諏訪大社の御柱祭(おんばしらさい)に代表されるように、木柱をもって神座の位置を定めてきたことなどが由来と考えられます。
 ちなみに、御守・御札は「…体(たい)」、御神輿は「…基(き)」、神社は「…社(しゃ)」などと数えます。
 英語などと異なり、日本語には数多くの助数詞があります。これは数える事物の性格や状態に従って定められたものであり、日本人は無意識のうちに使い分けをおこなっているのです。

A6 ① 日本武尊(やまとたけるのみこと)

 

 日本武尊は、第十二代景行天皇の皇子で、九州の熊襲や出雲族への西征、東は現在の千葉県まで遠征するなど、国土の平定のため奮迅した神さまです。
 また、大己貴命は、大国主命(おおくにぬしのみこと)とも呼ばれます。「いなばの白うさぎ」の話は有名ですね。葦原中国(あしはらのなかつくに)と呼ばれた日本の国土を、人々が住みよいように国づくりを行った神さまです。
 そして、少彦名命(すくなひこなのみこと)は、とても小柄ながら、非凡な智恵者であり、大己貴命の国づくりに大きな貢献をした神さまです。

A7 穀霊を象徴する玉。稲束を刈る鎌。穀物を納める米蔵の鍵。お経の巻物。火焔の燃え上がる如意宝珠など

 

 狐は狛犬と同様の役割があり、さまざまな形態があります。これは稲荷神が氏神の神社や祠に祀(まつ)られていたり、各家の屋敷神として邸内社に祀られるなど、その信仰に多様性があるためです。御祭神は宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)と言い、五穀や食物を司る神さまとして崇められ、家財を守るという信仰から、家内安全、家業繁栄の神として崇められています。
 瀬田玉川神社では、本殿の右隣に稲荷神社があります。
 また、当社から北に3分程歩いた「稲荷神社前交差点」に、瘡守稲荷神社が飛地の末社としてあり、無病息災、病気平癒の信仰を古くから集めています。

A8 ①約四五〇年前

 

 瀬田玉川神社の歴史は、明治十八年に登記した書類には、「戦国時代の永禄年中(一五五八~一五七〇)にこの村の下屋敷に勧請し、その後、寛永三年(一六二六)、瀧ヶ谷に長崎四郎左衛門が寄付をして遷宮した」とあります。
 この地域は、小田原北条氏時代は世田谷吉良氏の所領でしたが、徳川氏江戸入城後は幕府の直轄地(天領)となり、徳川家の別荘がありました。参道口の坂道は、江戸城から続く旧大山街道であり交通の要衝だったこと、国分寺崖線の丘の上で、風光明媚な場所であったことも、天領となった理由かもしれません。